医薬品メーカー業界に、そもそもAIは必要なのか
製薬会社のAI活用を考えるとき、判断軸は二つです。同じ判断を月に何回繰り返しているか、そしてその判断を間違えたときに何が起きるか。この二つが両方大きい業務ほど、AIを組み込む価値が出ます。
製薬会社の仕事で、この二つが重なるのは次のような業務です。
- 製造ロットごとの品質検査の結果を、規格値や過去ロットの傾向と照らして確かめる作業
- 医療機関やMRから届く副作用報告を、重篤度と既知・未知で仕分ける作業
- 医療従事者からの製品問い合わせに、添付文書と過去の回答記録をたどって答える作業
いずれも、社内で定めた判定基準に沿って同じ見極めを繰り返しています。
一方、当局からの照会事項にどう答えるかを決める場面や、治験を続けるか中止するかの判断には、AIを組み込まないほうがよいと考えます。照会事項は、指摘の背後にある懸念を推し量って回答の方針を組み立てる仕事です。治験の継続可否は、被験者の安全に対して会社が責任を負う決定だからです。
ただし、この線引きは業務ごとに変わります。同じ資料づくりでも、CTDの記載整合性の確認と、対面助言で使う説明資料の組み立てとでは向き不向きが違います。次は、製薬会社の仕事を工程に分けて見ていきます。
探索研究から製品戦略まで、負荷が大きいのはどの工程か
新薬は、探索研究から上市後の製品戦略まで一方向に進みます。工程ごとに見ると、決まった基準に照らして繰り返す作業と、相手の意図を読んで毎回考える作業がはっきり分かれます。
| 業務工程 | 主な作業 | AI活用の余地 |
|---|---|---|
| 探索・非臨床研究 | 標的分子の探索、論文・学会発表からの知見収集 | 中:注目すべき知見の要約を任せられる |
| 臨床開発 | プロトコルの作成、症例データの集計と傾向の整理 | 大:評価項目の定義に沿った整理を任せられる |
| 薬事申請 | CTDの作成、申請資料の記載整合性の確認 | 大:記載規則との突き合わせを任せられる |
| 当局対応 | 照会事項への回答方針の決定、対面助言での説明 | 極小:指摘の意図を読んで毎回方針が変わる |
| 生産・品質試験 | ロットごとの品質検査と規格判定、査察に備えた記録整理 | 大:規格値からの外れの拾い出しを任せられる |
| 安全性管理 | 副作用報告の受付と重篤度の判定、添付文書改訂の影響確認 | 大:判定基準に沿った一次仕分けを任せられる |
| 情報提供 | 医療従事者からの問い合わせ対応、MR資料・患者向け資材の作成 | 中:過去の回答記録から下書きを起こせる |
| 製品戦略 | 特許切れに向けた事業影響の整理、後発品の動向把握 | 中:公開情報の突き合わせと比較表づくりを任せられる |
負荷が最も集中するのは安全性管理です。副作用報告は、医療機関からも自社のMRからも、いつ届くか分からない形で入ってきます。しかも法令で定められた期限内に当局へ報告する義務があるため、締め切りは会社の都合では動かせません。
担当者は一件ずつ報告の本文を読み、入院に至ったのか、後遺症が残ったのかといった重篤性を見極めます。同時に、その事象が添付文書に載っている副作用なのか、載っていない未知の事象なのかを照らします。この二つの組み合わせで報告期限の区分が変わるため、読み落としが規制上の不備に直結します。
ここに手を入れると、担当者は仕分けではなく、判定が割れる症例の検討と、当局に出す記述の精度に時間を使えます。期限の近い症例が先に見えることで、安全性情報の評価から添付文書の改訂につながる流れも早くなります。
「極小」とした当局対応は、照会事項の一文の裏にどんな懸念があるのかを推し量り、手持ちのデータで何をどこまで説明するかを組み立てる仕事です。前例がそのまま当てはまらないため、人が向き合う工程として残ります。
医薬品メーカー業界で最初に取り組むべきAI活用、3つ
最初に手をつけるのは、繰り返し発生していて、かつ間違えたときの影響が大きい業務です。第1章の二つの軸で見ると、製造ロットの品質判定、治験データの傾向整理、副作用報告の仕分けがここに当たります。
品質検査の異常値を、AIに先に拾わせる
起点は、試験室で分析が終わり、ロットごとの試験成績が所定の保存先に登録された時点です。AIは社内で定めた規格値と判定の手順、そして同じ製品の過去ロットの試験成績を参照し、規格の内側にあっても過去の分布から外れている値を拾い出します。
拾い出した値は、逸脱候補の一覧表に行として追記され、品質管理の担当者に業務チャットで知らせが届きます。これまでは規格を外れたときに初めて気づいていましたが、規格内で少しずつ動いている傾向を、出荷判定の前に目にできる形に変わります。
一覧を確かめるのは品質管理の担当者です。拾われた値が試験の手技によるものか、製造条件の変化によるものかを見ます。逸脱として扱うか、そのロットを出荷してよいかの決定は、品質保証の責任者が負います。
治験データの傾向を、症例を追う前に整理しておく
二つめは、きっかけが日付ではなくデータの締めにあります。症例データが固定された時点、または安全性情報の定期集計の締めが来た時点で仕組みが動きます。AIはプロトコルで定めた評価項目の定義と、社内の有害事象の読み替え規則を参照し、有害事象の出方や、検査値が動いている症例をまとめます。
出力は検討用の一覧表と、論点を書き出した文書として保管されます。担当者が症例一覧を目で追って気になる症例に印をつけていた工程が、整理済みの一覧に当たりをつけるところから始まる形になります。
見るのは開発担当の医学専門家です。盲検を保ったまま扱う集計なのか、固定後の集計なのかを確かめたうえで、拾われた症例が臨床的に意味のある変化かを判断します。治験を続けるかどうかの決定は、開発責任者が担います。
副作用報告の重篤度を、届いた時点で仕分ける
三つめの起点は、社外からの連絡です。安全性情報の受付フォームが送信されたとき、またはMRからの報告メールが窓口に着信したときに動きます。
AIは社内の重篤性判定の基準、当該製品の添付文書に記載された副作用の一覧、過去の症例登録の記録を照らし合わせ、重篤性と既知・未知、そこから決まる報告期限の区分を一次判定します。
判定結果は症例管理の一覧表に行として追記され、期限が近いものから順に並びます。期限の迫った症例は安全性情報の担当者に通知が届きます。報告書を開いて一件ずつ区分を書き込んでいた作業が、付いた区分を確かめる作業に変わります。
確かめるのは安全性情報の担当者です。当局へ報告するかどうかと、その期限区分の最終的な決定は、安全管理の責任者が負います。
業務に組み込むまでの4ステップ
ここでは「副作用報告の分類・重篤度一次判定」を例にします。新しいシステムを作る話ではなく、いま使っている受付フォームと症例管理の一覧表の間に、情報の通り道を一本引く作業です。
1. 使う情報がどこにあるかを決める
仕分けに使う情報は、すでに社内にそろっています。
- 医療機関やMRから届く報告の本文と、報告者の区分
- 当該製品の添付文書に載っている副作用の一覧
- 過去に登録した症例と、そのときに付けた重篤性の区分
集め直すのではなく、置き場所を決めるだけです。窓口ごとに散らばっているなら、一箇所にまとめます。
2. 何をきっかけに動かすかを決める
受付フォームが送信されたとき、または窓口のメールに報告が着信したときを起点にします。担当者が思い出して開く形にすると、報告が重なった週ほど後回しになり、結局使われなくなります。
3. 判断の基準を設定しておく
何をもって重篤とみなすのかを文章にし、一箇所にまとめて設定しておきます。AIは毎回そこを参照します。ベテランが頭の中で無意識に付けている区分を、外に書き出す作業です。
- 入院や入院期間の延長にあたる記述を、どこまで拾うか
- 添付文書のどの記載までを「既知」として扱うか
- 転帰が不明なまま届いた報告を、どちらに寄せて仮置きするか
この工程がいちばん時間がかかります。境目の見極めは担当者ごとに揺れているため、すり合わせが要ります。一度書き留めれば、担当が替わっても使い回せます。
4. 結果の戻り先と、確認する人を決める
一次判定は症例管理の一覧表に行として追記し、期限の迫ったものは業務チャットで安全性情報の担当者に知らせます。担当者は始業時に一覧を開き、期限の近い症例から確かめます。
先に知っておきたい、つまずきやすい3か所
- 紙とFAXで届く報告が、流れに乗らない:医療機関からの副作用報告は、いまも手書きの用紙やFAXで届きます。受付の時点で文字にしておかないと、電子で届いた分だけが仕分けられ、紙の分が別の流れに取り残されます。受付手順の中に、本文を所定の場所へ文字として登録する作業を組み込んでおきます。
- 品質記録を上書きすると、査察で説明できなくなる:試験成績にAIの判定を直接書き込むと、元の値と誰がいつ直したのかが追えなくなります。GMPの記録は監査証跡が求められるため、AIの出力は元記録とは別の欄に追記し、判定した人と日付を残す形にします。
- 添付文書が改訂されても、参照先が古いまま残る:既知・未知の見極めは添付文書の記載を基準にしています。改訂があったのに参照先が古いままだと、未知の事象を既知として仕分けてしまいます。改訂の手順書の中に、参照先の差し替えを工程として入れておきます。
医薬品メーカー業界のAI活用は、どこから考えればいいか
AIが向くのは、規格値や判定基準、添付文書といった決まったものさしに照らして同じ見極めを繰り返す業務で、照会事項への回答方針や治験の継続可否は人が担う側に残ります。紹介した三つは、いずれも基準が文書として社内にあり、確かめる人と最終決定者を決めやすい業務です。
八つの工程すべてに手を入れる必要はありません。一つの業務から始めれば十分です。品質試験の成績、症例の登録記録、添付文書という、すでに手元にあるものだけで着手できます。

