バイオベンチャー業界に、そもそもAIは必要なのか
バイオベンチャーのどこにAIを入れるかは、二つの軸で決まります。同じ型の判断が月に何度戻ってくるか、外したとき何が起きるかです。
社員が十数人の会社では、実験台に立つ研究者が特許の届出も助成金の申請書も抱えます。二つの軸がともに大きい業務から手をつけないと、手が回りません。
この二つで並べ直すと、上に残るのは次の業務です。
- 学会の演題や論文の原稿を、実験データから起こす作業
- 助成金・補助金の申請書が、公募要領の条件を外していないか見る作業
- 特許出願の書類を、弁理士に送る前に点検する作業
いずれも 照らす相手が文書の形で残っている 業務です。外せば、査読での差し戻し、不採択、権利化の失敗という形で、年単位の遅れになります。
一方、投資家との面談でのやりとりは、AI活用の手に乗りません。想定していない論点をぶつけられたとき、どこまで踏み込むかは相手の表情を見ながらその場で決めるからです。
どのパイプラインを止めるかの決断も人に残ります。残りの資金と研究の手応えを並べ、会社の存続をかけて引く線 だからです。
線を引く場所は、業務の名前では決まりません。同じ知財の仕事でも、出願書類の記載を過去の型と突き合わせる作業と、大学に発表を待ってもらう交渉とでは、向き不向きが逆になります。
自社の業務を機能ごとに割って見るほかありません。次のセクションでは、研究の手元から経営の側までを分け、負荷がどこに集まるかを見ます。
実験・測定から事業開発まで、負荷が大きいのはどの工程か
バイオベンチャーの業務は、一本の流れになりません。知財の優先日、公募の締切、学会の演題登録の期日が、それぞれ別の暦で回っているからです。機能ごとに割ると、性質の違いが見えてきます。
| 業務工程 | 主な作業 | AI活用の余地 |
|---|---|---|
| 実験・測定 | 細胞や動物を使った試験、培養の状態を見た継代や投与量の見極め | 極小:目の前の状態で毎回判断が変わる |
| データ整理 | 測定値の記録、外れ値の確認、再現性を示す資料づくり | 中:外れ値の拾い上げを任せられる |
| 知財・契約 | 特許出願書類の一次点検、共同研究契約の条項確認 | 大:過去の出願と契約の型に照らす点検が向く |
| 成果発信 | 学会の演題登録と発表原稿、論文投稿、研究進捗報告 | 大:原稿の骨子づくりを任せられる |
| 規制対応 | 当局相談に向けた論点と資料の一次整理 | 中:論点の並べ直しまで。説明の組み立ては人 |
| 資金調達 | 助成金・補助金の申請書類、投資家向け資料の作成 | 大:公募要領との突き合わせが効く |
| 経営・事業開発 | 取締役会向けの説明資料、競合パイプラインと導出候補の調査 | 中:資料の骨子まで。方針の決定は経営陣 |
この中で担当者の神経をいちばん使わせるのは 知財・契約 です。効いているのは書類の量ではなく、発表と出願の先後を少人数で同時に握らなければならないことです。
発明者と発表者が同じ研究者である会社がほとんどです。学会の締切が近づけば原稿に集中し、その原稿に出願前の結果が入っていないかを、書いた本人が見ることになります。
共同研究先の大学には大学の発表予定があり、自社の都合では止められません。先方の学生が修士論文の審査で公表すれば、その日が公知の日として動きます。
さらに、出願を急ぎたい時期は資金調達の時期と重なります。投資家に見せられる進み具合を作るために優先日を前倒ししたい一方で、データがそろうのを待ちたいという引っ張り合いが起きます。
この重なりがほどければ、成果発信では出せる範囲が決まってから原稿にかかれます。資金調達の場でも、出願の進み具合をそのまま根拠として並べられます。
表で「極小」としたのは実験・測定です。培養の濁り具合や動物の様子は、その場に立っている人にしか読めません。基準を先に文章へ落とせない以上、全工程をAIに載せることはできません 。
バイオベンチャー業界で最初に取り組むべきAI活用、3つ
この三つに共通するのは、外したときに取り返しがつかないことです。査読での差し戻し、不採択、権利化の失敗は、いずれも年単位で開発計画をずらします。しかも同じ型の点検が、案件ごと・年度ごとに戻ってきます。
発表原稿の骨子を、締切が来る前に起こす
成果発信の工程です。学会の演題登録日や投稿の締切が近づいた時点で、仕組みのほうから動きます。AIは解析の済んだ測定データ、自社がこれまでに出した発表要旨と論文、投稿先の書式規定を読み、図表の並べ方と 主張の骨子 を組み立てます。
骨子は文書作成ソフトの原稿ファイルとして研究テーマの保管場所に残り、共著者にメールで知らせが届きます。いまは前回の要旨を開いて書き換えるところから始めていますが、図表の候補が並んだ状態から中身の検討に入れます。
どのデータを主たる結果に置くか、結論をどこまで言い切るかは研究責任者が決めます。共著者の並びと謝辞の表記は、共同研究契約の条文と照らして契約の担当者が確かめます。
申請書の記載が公募要領を外していないか、提出前に見る
資金調達の工程です。動き出すのは、申請書のドラフトが申請案件のフォルダに保存された時点です。AIはその年度の公募要領、過去に採択された自社の申請書、不採択のときに受けた指摘の控えを参照し、要領が求める項目と本文を一項目ずつ照合します。
結果は指摘の一覧表に、申請ごとの行として増えます。申請担当には業務チャットで知らせが飛びます。締切の直前に要領を画面の横へ並べて読み合わせる時間がなくなり、拾い上げの済んだ状態 から推敲に入れます。
研究計画の書きぶりが審査の観点に合っているかは、研究責任者が見極めます。予算の積算と、他の公的資金との重複の有無は、経理を見ている担当者が最後に確かめます。
発明届出の中身を、弁理士に送る前に突き合わせる
知財・契約の工程にあたります。研究者が発明届出を入力フォームから送ると、そこから動きます。AIは届出の記載、実験ノートから起こした生データ、すでに公開した自社の発表要旨、過去の出願明細書を照らし、実施例の数値が手元の記録と合っているか、公表済みの内容が混ざっていないかを見ます。
指摘のついた案件は発明届出の管理表に 要確認 の行として立ち、届け出た研究者本人に通知が戻ります。これまでは弁理士から明細書の案が返ってきてから食い違いに気づき、書き直しが何度も往復していました。
新規性が失われているかどうかの最終的な見立ては、弁理士に委ねる判断です。どの範囲で権利を取りにいくかは、経営陣と研究責任者が決めます。
業務に組み込むまでの4ステップ
例に取るのは、二つ目の助成金・補助金の申請書の点検です。システムを一から起こすのではなく、手元のツールをどうつなぐかを整える作業です。
1. 使う情報がどこにあるかを決める
公募要領と過去の申請書の置き場所を、先に決めます。
- 制度ごとの公募要領と様式
- 過去に出した申請書と、採否の通知
- 進行中の研究テーマの計画書
新しく書き起こすものはありません。端末に年度別でたまっているものを 一箇所へ集める だけです。
2. 何をきっかけに動かすかを決める
担当者が思い立って開くのではなく、業務の側の出来事で動かします。起点は、申請書のドラフトが申請フォルダに保存された時点です。
締切の二週間前という日付も加えれば、書きかけで止まった申請を拾えます。ここを決めないと、締切前ほど使われません。
3. 判断の基準を設定しておく
何を不備と呼ぶのかを、あらかじめ文章にまとめ、一箇所に設定しておきます。書き慣れた人が無意識に引っかかる点を、外へ書き出す作業です。
- 研究の意義の欄で、自社技術の説明に紙幅を使いすぎていないか
- 事業化の道筋に、導出先の想定と時期が書かれているか
- 過去の不採択で受けた指摘が、同じ形で残っていないか
この工程がいちばん時間を食います 。一度では固まらず、申請のたびに書き足します。書き上げれば、制度が変わっても使い回せます。
4. 結果の戻り先と、確認する人を決める
戻り先は指摘の一覧表です。申請ごとに行が増え、項目と指摘の中身、要領のどこに当たるかが並びます。申請担当には業務チャットで知らせが飛びます。
目を通すのは提出直前ではなく、ドラフトが上がった日です。書きぶりは研究責任者が、予算の欄は経理の担当者が受け持ちます。
先に知っておきたい、つまずきやすい3か所
- 公募要領は年度ごとに様式も評価の観点も差し替わります。去年の要領を読ませたまま点検を回すと、なくなった項目を埋めさせ、増えた項目を見落とします。要領を入れ替えた日に、基準の文章も書き換える ところまでを、申請担当の手順に組み込みます。
- 共同研究契約には、発表の前に相手方の同意を得る条項が入っていることがあります。契約の中身までは仕組みの側から見えないため、原稿の骨子が先に共著者へ回ってしまいます。契約ごとの発表制限を基準の側に書き出し 、相手先の名前が出たテーマは通知を別に立てます。
- 発明届出が自由記述のままだと、試験の条件や比較対象が書かれず、生データと突き合わせる相手がそろいません。届出フォームの必須項目に 試験条件と対照群 を入れ、記録の側で埋まるようにします。
バイオベンチャー業界のAI活用は、どこから考えればいいか
第1セクションで引いた線は、照らす相手が文書として残っている業務と、その場の相手や残りの資金を見て引く判断との間にありました。先に挙げた三つは、すべて 文書の側に答えがある 業務です。公募要領も過去の出願も自社の中にあり、外したときの損が開発の日程に跳ね返るからです。
三つを同時に組む必要はありません。次に締切が来る制度の申請書、その一件だけで足ります。手元にあるのは過去の申請書と、そのとき受けた指摘の控えです。それ以上は要りません 。

