Business Type Guide

社会保険労務士事務所でのAI活用術

AIを入れる価値が出るかどうかは、二つの軸で決まります。同じ判断を月に何回繰り返しているか、そして間違えたときに何が起きるかです。

公開日 2026年9月29日更新日 2026年9月29日読了時間 約1分

社会保険労務士事務所に、そもそもAIは必要なのか

AIを入れる価値が出るかどうかは、二つの軸で決まります。同じ判断を月に何回繰り返しているか、そして間違えたときに何が起きるかです。

社労士事務所の場合、前者は顧問先の数だけ増えます。後者は、支給額の誤りや届出の遅れという形で、顧問先の従業員の手取りや給付に直接届きます。

社労士事務所のAI活用が効くのは、たとえば次の業務です。

  • 顧問先から届いた勤怠記録の打刻漏れや時間外の異常を、締めの前に洗い出す確認
  • 従業員からの労務相談に、その顧問先の就業規則に照らして一次回答を用意する作業
  • 改正条文を、就業規則のどこをいつまでに直すかという指示に置き換える作業

いずれも、法令と その顧問先の就業規則 という動かない基準に照らして、同じ当てはめを繰り返しています。

逆に、労働基準監督署の調査への立会いと是正の交渉は、人が引き受ける場面です。監督官が何を問題視しているかは、帳簿のどこを何度見返したかといった、その場の様子からしか読み取れません。

ハラスメント相談の聞き取りも同じです。何を聞かずにおくかまで含めて相手を見ながら進める必要があり、 有資格者が責任を負う 判断です。

ただし、この線引きは業務ごとに動きます。同じ書類作成でも、様式の決まった資格取得届と、労使の事情が絡む就業規則の改定では向き不向きが逆になります。次は、事務所の仕事を機能ごとに分けて確かめます。

労務相談から是正対応まで、負荷が大きいのはどの工程か

社労士事務所の仕事を機能ごとに分けると、AIの効き方が工程ごとにはっきり違うことが見えます。法令と規程に照らす工程と、相手の出方を見て動く工程とで、性質が正反対だからです。

業務工程主な作業AI活用の余地
労務相談経営者や従業員からの相談への回答、ハラスメント相談の初期対応大:就業規則に照らした一次回答の下書きまで
給与計算勤怠記録の取り込みと集計、支給控除の確定、計算結果の変動確認大:異常な数値の洗い出しを任せられる
社保手続き入退社の資格取得・喪失届、育児介護休業の書類、期限の管理中:提出漏れと期限の横断確認まで
年度更新・算定労働保険の年度更新、算定基礎届の作成と数値の確認中:数値の妥当性の確認まで
規程整備就業規則の改定案づくり、36協定などの労使協定の作成中:改正への対応箇所の洗い出しまで
助成金申請受給要件の確認、申請書類の作成小:要件の一次確認まで
法改正対応改正内容の読み取り、顧問先向け説明資料の作成大:説明資料の下書きを任せられる
是正対応労働基準監督署の調査立会い、是正報告書の作成極小:その場のやりとりで方針が変わる

最も負荷が集中するのは 給与計算 です。支給日は動かせないのに、もとになる勤怠記録が顧問先から届くのは締めの後で、顧問先ごとに締め日も様式も違います。月初の数日に全社分が重なります。

担当者が時間を取られているのは、判断ではなく 確認の往復 です。退勤の打刻がない日、休憩が記録されていない日、時間外が協定の上限に近づいている従業員を見つけるたび、顧問先に問い合わせて返事を待ちます。

しかも、同じ時間外でも意味が違います。変形労働時間制を採る顧問先と、固定残業代を設定している顧問先では、割増の起点が変わるからです。

ここに手を入れると前後が変わります。確認事項が締めの直後に出そろえば、顧問先への問い合わせを一度にまとめられ、支給日の直前に生じていた手戻りが減ります。空いた時間は労務相談に戻ります。

是正対応を「極小」としたのは、監督署が何を問題としているかによって答え方が変わる場だからです。基準を先に設定しておける性質の仕事ではありません。

社会保険労務士事務所で最初に取り組むべきAI活用、3つ

手をつける順番は、頻度と、間違えたときの影響の大きさで決まります。第1章で挙げた二つの軸がどちらも高い業務、つまり毎月必ず回ってきて、取り違えると顧問先の従業員に実害が及ぶものから始めます。次の3つがそれにあたります。

労務相談の一次回答を、就業規則の条文から起こす

労務相談の工程です。顧問先の経営者や従業員から、入力フォームやメールで相談が届いた時点で動き出します。

AIは相談の文面から論点を切り分け、その顧問先の就業規則と労使協定、過去に同種の相談へ返した回答の記録を参照して、根拠にした条番号つきの下書きを組み立てます。

下書きは顧問先ごとの相談台帳に、質問・回答案・参照した条番号が一行で並ぶ形で保存されます。手の空いた人が規程を開き直して書いていた状態から、 同じ相談でも顧問先によって答えが変わる 理由が条番号の形で残る状態に変わります。

条文の当てはめが顧問先の運用実態と合っているかは、担当の社労士が確かめます。規程の定めと実際の運用がずれている顧問先にどう答えるかは、事務所が引き受ける判断です。

打刻漏れと未払い残業を、締めの直後に顧問先へ返す

負荷が集中すると述べた給与計算の工程です。顧問先が勤怠記録を指定の保管先に保存した時点で動きます。

AIは賃金台帳と、顧問先ごとの所定労働時間・締め日・労働時間制の設定に照らして、退勤の打刻が欠けた日、休憩の記録がない日、協定の上限に近づいた時間外、前月から大きく動いた従業員を拾い出します。

結果は事務所の中に留めません。顧問先ごとの確認リストとして、顧問先の担当者に入力フォームの形で届き、実態を記入して返してもらいます。気づくたびに個別に問い合わせていた状態から、 何が未回答のまま残っているか が締め日まで一覧で見える状態になります。

返ってきた内容を給与計算の担当者が読み、割増の対象とするかを決めます。支給額を固める責任は事務所にあります。

改正の条文を、顧問先に配れる説明に置き換える

三つ目は動き出し方が違います。施行日が決まった改正について、担当者が官公庁の公表資料を保管先に保存したときが起点です。

AIは、その顧問先の就業規則の条文、業種と従業員規模、過去に同じ顧問先へ配った説明資料の言い回しに照らして、改正の中身を どの条を、いつまでに、どう直すか と、従業員に何を周知するかに置き換えます。

下書きは顧問先ごとの説明資料として文書作成ソフトに保存され、次の月次の打合せの前に担当者へ届きます。改正のたびに一から資料を作り直していた状態から、顧問先の規程の言葉で説明できる状態に変わります。

改正の読み方と、その顧問先への当てはめが合っているかは担当の社労士が確かめます。どこまでを必須の対応として案内するかは、事務所が決める判断です。

業務に組み込むまでの4ステップ

二つ目に挙げた、締めの直後に確認事項を顧問先へ返す例で説明します。新しいシステムを作る話ではなく、いま使っているツールの間に情報の通り道を一本つくる作業です。

1. 使う情報がどこにあるかを決める

使う情報は、 どれもすでに事務所か顧問先の手元にあります 。

  • 毎月届く勤怠記録と、前月までの賃金台帳
  • 顧問先ごとの所定労働時間・締め日・労働時間制の設定
  • 36協定の上限と、固定残業代を設定している場合のその時間

新しく作るものはありません。ただし顧問先ごとの設定は担当者の記憶やメモに散らばりがちなので、保管先を一箇所に決めます。

2. 何をきっかけに動かすかを決める

きっかけは、顧問先が勤怠記録を指定の保管先に保存したときです。締め日は顧問先ごとに違うので、曜日ではなく到着を合図にします。

人が思い出して動かす形にすると、締めが重なった週ほど後回しになり、使われなくなります。

3. 判断の基準を設定しておく

ここがいちばん時間のかかる工程です。経験の長い担当者が勤怠記録を見た瞬間に引っかかる点を、文章にして一箇所にまとめます。

  • 出勤の記録だけがある日を、どう扱うか
  • 時間外が協定の上限にどこまで近づいたら知らせるか
  • 前月から大きく動いた支給額を、どの幅から知らせるか

一度まとめておけば翌月から同じ基準が使え、担当が替わっても確認の勘所が引き継がれます。

4. 結果の戻り先と、確認する人を決める

結果は 画面に出して終わりにしません 。顧問先ごとの確認リストとして先方の担当者に届き、記入内容が事務所側の一覧に戻る形にします。

確認は支給額を固める前です。返ってきた内容を給与計算の担当者が読み、割増の対象とするか決めます。

先に知っておきたい、つまずきやすい3か所

  • 勤怠記録の様式が変わって、判定が静かにずれる :顧問先が集計表の列を増やしたり集計の仕組みを替えたりすると、読み取る位置がずれたまま結果だけが出ます。読み取れない列があった月は結果を出さずに止める決まりにして、様式を変えるときは事前に知らせてもらうよう顧問契約の連絡事項に入れておきます。
  • 例外的な労働時間制を取りこぼす :変形労働時間制や事業場外みなし、管理監督者を法定の労働時間で一律に判定すると、見逃しと誤検知が同時に起きます。顧問先ごとの労働時間制を基準の側に登録し、該当する顧問先は別の判定に回します。
  • 紛争になりかけている相談に、下書きが出てしまう :解雇、退職勧奨、ハラスメントの相談は、回答そのものが後の証拠として扱われます。相談の文面にこれらが含まれたら下書きを出さず、担当の社労士に直接つなぐ線を決めておきます。

社会保険労務士事務所のAI活用は、どこから考えればいいか

AIが効くのは、法令と その顧問先の就業規則 という動かない基準に当てはめる仕事で、監督署とのやりとりや相談の聞き取りのように相手を見て決める仕事は人が引き受けます。第1章で引いたのはこの線でした。紹介した3つは、いずれも照らす先が顧問先ごとに文書で残っている業務です。

取りかかるのは一つで構いません。毎月届く勤怠記録も、改定を重ねてきた就業規則も、 すでに事務所の中にあるもの です。新しく集め直すところから始める必要はありません。

#コンサルティング・リサーチ業界・専門事務所・監査法人・税理士法人#社会保険労務士事務所#AI活用