監査法人に、そもそもAIは必要なのか
AIを入れる価値が出るかどうかは、2つの軸で見分けられます。1つは、同じ判断を月に何回繰り返しているか。もう1つは、その判断を取り違えたときに何が起きるかです。監査法人では後者が監査意見の誤りに直結するため、前者が大きい業務ほど仕組みにする価値が大きくなります。
たとえば、財務諸表の表示・注記が開示チェックリストの項目を満たしているかの確認は、条文と記載を突き合わせる作業で、毎期同じ判断を繰り返しています。内部統制の運用評価で、入手した証憑がテストの記録として足りているかを見る作業も同じです。分析的手続で拾った増減の変動要因も、AIが先に文章の形にできます。
一方、経営者が置いた見積りの前提を受け入れてよいかという心証形成と意見表明は、AIに寄せてはいけない業務です。監査人は財務諸表の作成責任を負わない立場で、自分が入手した証拠だけを根拠に意見を述べます。
経営者や監査役等への質問で、答えの間合いから不正の兆候を感じ取る場面も、記録に残らない情報を扱うため人が担います。
監査法人のAI活用を考えるときは、法人という単位ではなく業務という単位で線を引くことになります。同じ期末監査の中でも、様式と着眼点が決まっている作業と、監査人の判断が中心の作業が混ざっているためです。次に、監査業務を工程に分けて見ていきます。
受嘱・更新から監査報告まで、負荷が大きいのはどの工程か
監査法人の業務は、1つの被監査会社について1年をかけて進みます。工程に分けて並べると、どこが繰り返しの作業で、どこが監査人にしか担えない作業なのかが見えてきます。
| 業務工程 | 主な作業 | AI活用の余地 |
|---|---|---|
| 受嘱・更新 | 独立性の確認、前任監査人への質問 | 中:利益相反の候補を洗い出せる |
| 監査計画 | 重要な虚偽表示リスクの識別、試査範囲の決定 | 中:前期からの論点の変化を整理できる |
| 内部統制評価 | ウォークスルー、運用評価テストの記録 | 大:評価調書の下書きまで任せられる |
| 実証手続 | 見積りの検証、分析的手続、確認状の回収 | 大:前提の裏づけの抜けを先に拾える |
| 調書作成・査閲 | 手続結果の記載整理、査閲指摘の反映 | 大:指摘と修正箇所を突き合わせられる |
| 開示チェック | 表示・注記のチェックリスト確認 | 大:注記の記載漏れを一覧にできる |
| 審査 | 審査担当社員による意見の妥当性検討 | 極小:法人としての意見決定そのもの |
| 監査報告 | 監査報告書とKAMの作成、監査役等への報告 | 小:過去のKAM記載例をそろえるまで |
最も人の時間と神経を使うのは、実証手続、とりわけ会計上の見積りの検証です。減損の兆候判定や貸倒引当金の見積りには、誰もが同じ答えにたどり着く正解がありません。経営者が置いた前提が合理的かどうかを、監査人が自分で集めた証拠から裏づけることになります。
そのため主査は、将来計画の算定方法、割引率の根拠、前期の見積りと実績との差異といった資料を一つずつ集め、どの前提のどこが弱いのかを文章にしていきます。この作業が、決算日から監査報告書の日付までの限られた期間に集中します。
前提ごとの裏づけがそろっているか、前期から何が変わったかが先に一覧になっていれば、主査は弱い前提の検討から着手できます。監査計画で識別したリスクとのつながりも追いやすくなり、後工程の査閲で差し戻される回数も減ります。
一方で、審査の工程はAIに向きません。個々の手続の結果を持ち寄り、未修正の虚偽表示を積み上げたうえで、法人として意見を決める工程だからです。
監査法人で最初に取り組むべきAI活用、3つ
手をつける順番は、繰り返しの回数と、間違えたときの影響の大きさで決まります。第1章の2軸がともに大きい業務、つまり毎期必ず発生し、取りこぼすと監査意見の裏づけが崩れる業務から取り上げます。
見積りの前提の抜けを、検証の前に洗い出す
被監査会社から減損の将来計画や引当金の算定表がファイル保管サービスの所定フォルダに保存された時点で、仕組みが動きます。AIは、法人がまとめた見積り項目ごとの検証の着眼点と、前期の監査調書に残る前提および実績との差異を参照し、今期の前提のどこが前期から変わり、どの裏づけ資料が未入手かを並べます。
結果は検証メモの下書きとして調書のフォルダに保存され、未入手の資料は質問事項の一覧表に行として増えます。いまは主査が資料をそろえながら論点を頭の中で組み立てていますが、この仕組みでは弱い前提と足りない証拠が先に見えた状態から検討に入れます。
主査は、並んだ前提のうちどれを重点的に検討するかを選び、業務執行社員がその判断を確かめます。前提を受け入れるかどうかは監査人の心証で決まる判断で、AIの並べ方をそのまま結論にはしません。
注記の記載漏れを、ドラフトの更新時に拾う
きっかけは、被監査会社から財務諸表のドラフトが共有フォルダに更新されたときです。AIは法人の開示チェックリストの項目と、前期の有価証券報告書の記載、今期から適用が始まった会計基準の注記例を照らし、ドラフトに載っていない注記と、数値が本表と合わない箇所を抜き出します。
抜き出した結果は、チェック項目ごとの確認一覧表に行が増える形で戻り、担当者に業務チャットで通知が届きます。ドラフトが差し替わるたびに全項目を目で追い直していた作業は前回との差分の確認に変わります。
一覧で未記載と判定された行を担当者が現物で確かめ、主査が最終の記載内容を決めます。注記が十分かどうかの評価は監査意見の一部で、チェックリストの消し込みだけでは終わりません。
統制の評価調書を、前期の様式にそろえて下書きする
期中の統制評価は、ウォークスルーの記録を入力フォームから送るところから始まります。送信を合図にAIが動き、法人が定めた統制ごとの評価の着眼点と、前期の評価調書の記載を参照して、整備状況の記述と運用評価テストの結果欄を埋めた下書きを作ります。
下書きは統制ごとの調書として文書で保存され、証憑が足りない統制は担当者あてのメールで知らされます。テストのたびに白紙から書き起こしていた記述が前期からの変更点を書き足す作業になります。
担当者はテスト結果の判定が記録と合っているかを確かめ、統制に不備があるかどうかは主査が決めます。不備の程度を評価する判断は、後の実証手続の範囲に影響するため人の側に残します。
業務に組み込むまでの4ステップ
ここでは、注記の記載漏れを拾う仕組みを例に説明します。新しいシステムを作る話ではなく、いま使っているツールの間に情報の通り道を1本つくる作業です。
1. 使う情報がどこにあるかを決める
見るのは、すでに法人の中にあるものだけです。
- 法人の開示チェックリスト
- 被監査会社の前期の有価証券報告書と今期のドラフト
- 前期の査閲で出た注記の指摘記録
新しく作らず、置き場所を決めます。年度ごとのフォルダに散っていれば、案件ごとに一箇所へまとめます。
2. 何をきっかけに動かすかを決める
人が思い出して開くのではなく、ここでは業務上の出来事を合図にします。財務諸表のドラフトが所定のフォルダに保存された時点が自然です。決算期の終わりに週1回と決める形でもかまいません。ここを担当者の操作任せにすると、繁忙期に誰も開かなくなります。
3. 判断の基準を設定しておく
いちばん時間がかかるのがここです。何をもって記載漏れとみなすのかを文章にして、一箇所にまとめておきます。ベテランが目で追うときに無意識に見ている点を、外に出して書き留める作業です。
- 本表の金額と注記の金額が一致しない場合は、必ず指摘として挙げる
- 前期にあった注記が今期にない場合は、削除の理由が調書にあるかを確かめる
- 当期から適用が始まった基準は、経過措置の記載まで見る
一度書けば、翌期も他の案件でも使い回せます。
4. 結果の戻り先と、確認する人を決める
画面に答えを出して終わりにしません。チェック項目ごとの確認一覧表に行が増え、担当者に業務チャットで通知が届く形にします。未記載の行を担当者が現物と照らし、残す指摘を主査が決めます。
先に知っておきたい、つまずきやすい3か所
- AIの下書きをそのまま調書にすると、誰がどの手続を踏み、何を証拠として入手したのかの記録が曖昧になります。これは品質管理の査閲で必ず問われる点です。下書きは下書きとして分け、担当者が確かめた日付と入手した証憑を調書側に書き足す形にします。
- 組織再編や会計方針の変更があった期は、前期との比較がそのまま成り立ちません。AIが「前期から変動なし」と整理してしまい、本来の論点が消えます。あらかじめ比較の前提が崩れる事象を書き出し、該当する期は仕組みの対象から外して人が見ます。
- 被監査会社の未公表の財務情報を、法人の管理下にない場所で処理すると、守秘義務とインサイダー情報の管理規程に触れます。どの情報をどこで扱うかを案件の開始時に決め、法人内の管理された範囲に限ったうえで、その取り決めを調書に残します。
監査法人のAI活用は、どこから考えればいいか
第1章で引いた線は、基準を決めて同じ判断を繰り返す業務にはAIが効き、監査人が証拠から心証を持つ業務には効かない、というものでした。先に挙げた3つは、様式と着眼点が先に決まっていて、しかも人が最後に確かめる箇所がはっきりしている業務です。
3つすべてに手をつける必要はありません。まずは1つの業務から、いま最も差し戻しが多いものを選べば十分です。開示チェックリストも前期の調書も法人の中にすでにあり、新しく買いそろえるものはありません。

