特許事務所・弁理士事務所に、そもそもAIは必要なのか
特許事務所でAIを入れる価値が出るかは、二つの軸で決まります。同じ判断を月に何回繰り返しているか、誤ったときに何が起きるかです。
扱う技術は案件ごとに違っても、判断の型まで違うとは限りません。この二つがともに大きい業務ほど、特許事務所のAI活用は効いてきます。
AIが効くのは、次のような業務です。
- 外国語の特許文献を読み解き、技術分野と課題ごとに要点を並べる作業
- 競合他社の公開公報を追い、クライアントの事業に関わるものを拾い出す作業
- 他社製品の構成と特許請求の範囲を構成要件ごとに突き合わせ、対比表にする作業
どれも、自事務所が積み上げてきた訳語の決め方や充足判断の基準に照らす、同じ突き合わせの繰り返しです。
一方、発明者との発明発掘の面談と、特許請求の範囲の文言を決める場面には、AIを入れないほうがよいと考えます。
発明者は、自分では当たり前と思っている工夫を口に出しません。話を追いながら「その温度を変えたらどうなるか」と踏み込めるのは、その場にいる弁理士だけです。
請求項の一語の広さは クライアントの事業の守備範囲 をそのまま決めます。責任を負う弁理士が引き受けるべき判断です。
ただ、この線引きは業務単位で変わります。同じ調査でも、技術分野の決まった定点観測と、前例のない用途を探す調査では向き不向きが逆になります。次のセクションでは、案件が事務所に入ってから権利が使われるまでを工程ごとに見ていきます。
発明相談から権利活用まで、負荷が大きいのはどの工程か
特許事務所の業務を案件の流れに沿って分けると、AIの効き方が工程ごとにはっきり違うことが見えてきます。文献や書類を基準に照らす工程と、人の頭の中から言葉を引き出す工程とで、性質が正反対だからです。
| 業務工程 | 主な作業 | AI活用の余地 |
|---|---|---|
| 発明相談 | 発明者への面談、追加の問いかけによる技術内容の把握 | 極小:相手の答えで次の問いが変わる |
| 発明整理 | ヒアリングメモの要点整理、特許性の初期評価 | 中:論点の一次整理まで、評価は人 |
| 先行技術調査 | 検索式の組み立て、外国語文献の読み込み、商標の類似確認 | 大:文献の一次スクリーニングを任せられる |
| 明細書作成 | 特許請求の範囲と明細書のドラフト、図面の指示 | 中:型の決まった記載の下書きまで |
| 出願手続 | 願書の方式確認、海外出願の翻訳と現地代理人への指示書 | 大:指示書の下書きを任せられる |
| 中間処理 | 拒絶理由通知の読み解き、意見書・補正書のドラフト | 大:引用文献との相違点の洗い出しを任せられる |
| 権利管理 | 年金期限の管理、特許ポートフォリオの棚卸 | 中:休眠特許の洗い出しまで |
| 権利活用 | 侵害鑑定とクレームチャート作成、ライセンス条項の確認 | 大:構成要件ごとの対比表を任せられる |
最も負荷が集中するのは 中間処理 です。拒絶理由通知がいつ届くかは特許庁の審査の進み方で決まり、事務所の側では平らにならせません。応答期限は法令で決まっていて、案件の重さに関わらず動かせません。
担当弁理士が時間を取られているのは、方針を決める手前の読み直しです。引用された文献を一件ずつ原文で追い、審査官が対比した構成要件と自分の読みがどこで食い違うかを確かめます。引用文献が外国語であれば、そこから訳す作業が加わります。
さらに、補正の根拠が 当初の明細書のどこに書いてあるか を探し直し、その補正が新規事項に当たらないかを確かめます。出願から数年たった案件では、書いた本人でも記載を追い直すところから始まります。
ここに手を入れると前後も変わります。相違点の洗い出しが先に出れば、クライアントと補正方針を相談する時間が残り、権利活用の相談に回す余力も生まれます。
発明相談を「極小」としたのは、そこが発明者の答えを受けて次の問いを組み替える場だからです。何が語られていないかは、話が進むまで見えてきません。基準を先に設定しておける性質の作業ではありません。
特許事務所・弁理士事務所で最初に取り組むべきAI活用、3つ
繰り返し起きていて、かつ誤るとクライアントの権利や事業に実害が及ぶ業務から手をつけるのが定石です。次の3つは、第1セクションで挙げた二つの軸、つまり月あたりの回数と誤ったときの影響が、どちらも高く出た業務です。
他社製品とクレームの対比を、先に表にする
権利活用の工程です。クライアントから鑑定依頼の受付フォームが届いた時点で仕組みが動きます。
AIは、対象となる特許の請求項を構成要件ごとに切り分け、添えられた他社製品のカタログや取扱説明書の記載を読み、自事務所に蓄えた過去の鑑定書と充足判断の基準に照らして、クレームチャートの下書きを組み立てます。
下書きは、構成要件と対応箇所が並んだ表の形で文書作成ソフトの鑑定書ひな形に流し込まれ、案件フォルダに保存されます。これまでは担当者が製品資料を読みながら表を一から起こしていましたが、 対応箇所の候補と引用元が埋まった状態 から検討に入れます。
構成要件の切り分けが妥当か、均等論まで含めてどう見るかは弁理士が見極めます。侵害の有無という結論は、鑑定書に名前の載る弁理士が負う判断です。
英文の引用文献を、要点つきで読む
負荷が集中すると述べた中間処理の工程です。拒絶理由通知と引用文献を案件フォルダの決まった場所に保存すると動き出します。
AIは請求項と明細書の要点を訳したうえで、自事務所が技術分野ごとにまとめた訳語の一覧を参照し、技術分野・課題・解決手段の順に整理した要約を作ります。
戻ってくるのは、原文の段落番号を併記した対訳と要約です。同じ案件フォルダに保存され、調査一覧にも1行増えます。辞書を引きながら全文を訳す段階を飛ばし、審査官が引いた箇所の前後から読み始められます。
訳語が技術の実態に合っているか、要約が原文の記載を丸めすぎていないかは、弁理士が原文と並べて確かめます。意見書に引く文言をどう訳すかは、弁理士が決める判断です。
競合の公開公報を、毎週まとめて受け取る
三つ目は起点が違います。公報が発行される曜日が来ると、人が思い出さなくても仕組みが動きます。
AIは、クライアントごとに登録した監視対象、つまり競合の出願人名や技術分類や注目しているキーワードで新しい公開公報を拾い、クライアントの技術テーマの定義に照らして分類します。
結果は表計算ソフトの監視一覧に公報ごとに1行ずつ追記され、クライアント向けサマリーの下書きが担当弁理士にメールで届きます。公報を自分で検索して読む週と読まない週があった状態から、 毎週同じ粒度で並ぶ 状態に変わります。
どの公報がクライアントの開発方針に触れるか、どれを至急知らせるかの格付けは担当弁理士が付けます。警告や係争につながる示唆を伝えるかどうかも、弁理士が引き受ける判断です。
業務に組み込むまでの4ステップ
三つ目に挙げた競合の出願動向モニタリングを例に説明します。新しいシステムを作る話ではなく、すでにあるツールの間に情報の通り道を一本つくる作業です。
1. 使う情報がどこにあるかを決める
使う情報は、 どれもすでに事務所の中にあります 。
- クライアントごとの監視対象(競合の出願人名、技術分類、注目キーワード)
- 過去に報告した公報と、そのとき付けた重要度の記録
- クライアントの事業領域と開発テーマを整理したメモ
担当者ごとの手控えや個別のメールに散らばりがちなので、保管先を一箇所に決めます。
2. 何をきっかけに動かすかを決める
きっかけは、公報が発行される曜日です。人が思い出して検索する形にすると、出願や中間処理の期限が重なった週から後回しになり、やがて使われなくなります。
3. 判断の基準を設定しておく
ここがいちばん時間のかかる工程です。経験の長い弁理士が公報を見た瞬間に切り分けていることを、 文章にして一箇所にまとめ ます。たとえば次のようなものです。
- どの出願人と技術分類を、クライアントごとに追うのか
- 請求項のどこに触れていたら、クライアントの開発に関わると見るのか
- 分割出願や名義変更をどう扱い、どの系列にひもづけるのか
一度まとめておけば、翌週からAIがそこを参照します。経験の浅い所員が監視の目の付け所を学ぶ資料にもなります。
4. 結果の戻り先と、確認する人を決める
結果は表計算ソフトの監視一覧に追記し、サマリーの下書きが担当弁理士にメールで届くようにします。画面に出して終わりにはしません。
確認はクライアントに送る前です。重要度を弁理士が直し、直した結果を同じ一覧に残すと、判断の基準を見直す記録になります。
先に知っておきたい、つまずきやすい3か所
- 分割出願や名義変更で監視から外れる :競合が出願を分割したり、出願人の名義を変えたりすると、登録した監視対象に引っかからなくなります。出願人名だけでなく発明者名や優先権の番号もたどれるようにし、月に一度は取りこぼしがないか担当弁理士が確かめる回を設けます。
- 未公開の発明内容が案件の外に出る :出願前の発明提案書や、他社から預かった鑑定の対象資料が、担当していない所員の見られる場所に入ると、新規性の喪失や弁理士法上の守秘義務に触れます。案件ごとに保管先と閲覧できる範囲を区切り、AIが参照する記録も同じ単位でそろえます。
- 基準にしたい過去の案件が紙のまま残っている :判断の基準に使いたい過去の鑑定書や中間処理の記録は、古い案件ほど紙の包袋に綴じられたままです。発明提案書も発明者ごとに様式がばらばらで、手書きの図面が混ざります。全部を電子化しようとせず、直近で参照する技術分野から順に様式をそろえます。
特許事務所・弁理士事務所のAI活用は、どこから考えればいいか
第1セクションでは、発明者から発明を引き出す場や特許請求の範囲の文言を決める判断は弁理士が担い、 決まった基準 に照らして同じ突き合わせを繰り返す業務にAIが効く、と線を引きました。紹介した3つは、どれも照らす先となる基準や過去の記録が、すでに事務所の手元にある業務です。
全部を一度に仕組みにする必要はありません。 まず1つの業務から 始めれば十分です。過去の鑑定書も訳語の一覧も監視対象のメモも、事務所の中にすでにあり、そこから着手できます。

